2005年 07月 09日 ( 1 )

観光丸

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今回は観光丸です。最新更新日8月1日
歴史的復元帆船を当時のままに復元
高さ32メートルのマストに帆を張り、大海原を走る幕末の帆船「観光丸」。歴史に名を残すこの船が、ハウステンボスに甦っています。幕末の息吹を体験しつつ、帆船の魅力を存分に満喫することができます。
観光丸に乗って、風光明媚な大村湾周遊の旅へ。
航海中は、ロープワークなど、参加型のアトラクションをクルーと一緒に楽しむことができます。
【出航時間】12:00、13:00、14:00、15:00、16:00
      ※12~2月は運休。 荒天時など運休となることも。
      ※現在、火曜・水曜日以外10:00からの臨時便が運行中。
【所要時間】35分
【定  員】300名
【料  金】 パスポート・パスカード、または現金大人800円、小人(6~12歳)400円
※現金での乗船に限り15名様以上は10%の団体割引をします。
※洋上クルーズは都合により運休する場合があります。

1855年にオランダ国王ウィレムⅢ世から幕府に献上された、日本初の蒸気帆船「観光丸」をオランダで忠実に復元したものです。帆装・外輪などの外観だけでなく、内装やキャビンの彫刻まで忠実に寸分違わず(近代的な航海装置以外)見事に再現されているといいます。
よくある観光地の船とは一線を画す、見事なものです。「海から生まれた街」のシンボル的な存在でもあり、HTBを訪れた方々には是非「観光丸」でのクルーズを楽しまれていただきたいと思います。

オランダで忠実に復元された後、かつての「観光丸」と同じ航路(地中海、インド洋経由)で日本まで自力航海してきたといいます。
幕末の日本はアメリカのペリーの要求に屈してついに開国するなど、軍事力を後ろ楯にした諸外国からの圧力に大きく揺れていました。特に、切実な問題だったのが海軍力の欠如。
そんな中、他国と肩を並べ長崎・出島時代と同様の権益を確保したいオランダは、さまざまな政策上の助言とともに海軍創設の意見書を提出する一方、幕府からの艦船の受注をにらみ、徳川将軍にスンビン号を献上。ここに日本は初めて洋式艦船を所有することになります。

幕府は海軍を創設する決定を下し、「軍艦7ないし8隻」の注文をしますが、すぐには間に合わないので、とりあえず1隻献上されたのが、蒸気艦スンビン号。

1855年(安政2年)スンビン号(後に改名されて「観光丸」)の献上を受けて長崎海軍伝習所を、出島の右裏手長崎奉行所の西役所敷地内(現在長崎県庁が建つ場所)に設置。
オランダ海軍士官ペルス・ライケン(帰国後、海軍中将まで進み海軍大臣を務めた第1級の人物)以下22名(20人という書き込みも)の指導の下、オランダから贈られた軍艦スンビン号(スームビング号)を用いて近代的な教育を受けることとなります。
日本側は永井岩之丞を総督とする39名(129人という書き込みも)の伝習生。旗本・御家人・諸藩士から選抜し、勝海舟榎本武揚らが学んだ。この第一期伝習生の学生長を務めたのが勝麟太郎(のちの海舟)。勝海舟榎本武揚をはじめとする近代海軍の発展に寄与した多くの俊才たちが観光丸で訓練をつみ、ここから巣立っていきました。

スンビン号は翌年長崎海軍伝習所長であった永井尚志により中国の易経にある「国の光を観る」にちなみ観光丸と改称。外国の文化を観るための船という意味でしょうか。

オランダに注文していたヤパン号(のち咸臨丸)が長崎に着き、第2次伝習が始まるのは安政4年9月で、その頃は既に一期生の大半が卒業し、二期生の伝習がスタートしていました。

安政4年(1857)、長崎海軍伝習所の第一期の伝習が終わると、幕府は永井総督以下の第一期伝習生を乗せ観光丸を江戸に回航し、築地南小田原町にある講武所内に海軍教授所を設けます。長崎はあまりに遠くて不便だったため(う~む)だとか。この教授所は、2年後に勝海舟が教授方頭取となり御軍艦操練所と改称されます。

安政6年(1859)長崎海軍伝習所は廃止されますが、勝海舟榎本武揚等の幕末の海軍創設期の、有能な海軍士官が育っています。特に勝海舟は、その後も海軍の隆盛に力を尽くすと共に、勝海舟個人の私塾・神戸海軍塾の開設や、幕府直轄の神戸海軍操練所を創設する等、その思想・学識・行動力は、幕末期に活躍する坂本龍馬等に大きな影響を与えることとなります。

文久3年(1863)、軍艦奉行並-勝海舟は、幕府より神戸に海軍操練所(海軍兵学校と海軍機関学校を兼ねたものであり、 日本に欧米と肩を並べる海軍を建設するための足がかりを作ろうとしたもの)の開設を許されます。資金三千両は幕府より出資。その操練所が開設されるまで、勝海舟は私塾を開くことも許されます。これが操練所の前身となる海軍塾です。
坂本竜馬海軍塾塾頭として主に浪人たちで構成したメンバーをまとめ、海舟により塾の資金調達のため福井へ派遣され福井藩主、松平春嶽から五千両もの大金を借りることに成功するなどの活躍をみせます。

元治元年(1864)5月幕府は海軍操練所の開設を布告、生徒の募集をします。幕臣の子弟たちは繰練所の寄宿舎で、竜馬ら旧塾生と諸藩からのものは海軍塾で寝起きし、練習に励みます。
ところが、同年6月、池田屋事件勃発。犠牲者のなかには海軍塾生の望月亀弥太がいました。さらに7月の蛤御門の変。そのとき幕府と戦った長州軍のなかに海軍塾生の安岡金馬が加わっていました。この2つの事件に海軍塾生が関与していたことで、「海軍操練所は激徒の巣」と幕府より疑いをかけられることになり 10月、勝海舟は軍艦奉行免職という処分を受け、翌年3月、正式に海軍操練所は廃止されます。 操練所の開所期間は非常に短かったものの、 その間に坂本龍馬陸奥宗光(むつむねみつ)など新しい時代を担う人々を育て、 日本の海軍の歴史にも大きな足跡を残す事となります。

勝海舟が開き坂本竜馬が塾頭として夢を育み膨らませていった、その海軍塾の練習艦として観光丸が使われたようです。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」の4巻にその場面があります。
遂に竜馬は自分たちの船を手に入れます。勝海舟は塾頭が竜馬神戸海軍塾を創った。その海軍塾に待ちに待った練習用の船が幕府から引き渡されることになるのです。大久保一翁から観光丸受け渡しが決まると路上で踊ったりはねたりしたそうで竜馬の素直に気持ちを表現する性格がよく出ています。
「艦は、なんです」(竜馬)
「観光丸だよ」
「こいつはいい。はじめのもくろみどおりでしたなあ」
(中略)竜馬はおどりあがりたいほど、うれしかった。これほどのよろこびを、うまれてこのかた、経験したことがない。
竜馬は、大久保屋敷を出た。
提灯をぶらさげて、人通りのない往来をいそぎながら、何度も、
「おお、軍艦。-」
とわめいては、路上でおどったり、はねたりした。(司馬遼太郎「竜馬がゆく 第4巻」より)

観光丸は引き渡し前に品川沖で修理が行われるのですが、
(これはわしの軍艦じゃ)とおもうと、毎日、甲板に立ってみなければ気がすまなくなる。
どころか、船体の鋲やねじの一つ一つまで撫でていたいくらいだった。
竜馬は、艦内にあってはたえまなく身を動かし、装置、備品など眼をつぶってもありありわかるほどにまで親しんだ。

また特に船獲得に際して仲間を神戸から江戸に呼び、甲板上で仲間が短艇で近づくのを双眼鏡片手に待っているシーンでは、いつも笑ってことを成してきた竜馬が声も出ずくしゃくしゃに涙だけを流しているのです。胸を打つ場面です。

(短艇を見る竜馬は)胸がつまってきて、涙を懸命にこらえた。
(中略)
(とうとう、われわれは練習艦を得た)
このよろこびは、一人では十分に味わうことができない。同じように艦の入手を待ちこがれていた仲間たちと抱きあうことによってのみ、味わうことができる。
(中略、近づく短艇にむかって)「おれだ、坂本だ」と叫びたかったが、声も出ずに涙だけがくしゃくしゃの頬をつたい、滴った。
(中略)
「あの仁、海に落ちそうだな」と、菅野覚兵衛が不審な顔をしていたが、やがてその男が坂本竜馬だと知ると、
「おい、みんな。坂本さんが来ちょる。舷側を掻きむしっちょるぞ」
といって笑おうとしたが、ふりむいて竜馬の姿を眼にとめた漕手のたれもが笑わなかった。菅野も、泣きっ面になってしまった。
(もとは一介の剣術使いだった男だ。それが軍艦にあこがれ、とうとう軍艦を一隻手に入れてしまった)
しかも浪人の身で。
菅野覚兵衛は、ぽろぽろと涙をこぼした。(司馬遼太郎「竜馬がゆく 第4巻」より)

勝海舟坂本竜馬が練習にはげみ、想いを寄せ夢を育んだ「観光丸」。HTBを訪れたなら是非利用されて、短時間ですが、クルーズを楽しむと共に幕末の偉人達に思いをはせてみられてはいかがでしょう。

船上ではアトラクションも用意されています。船首のロープ渡りは人気です。
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上記のように内装やキャビンの彫刻まで忠実に寸分違わず忠実に再現されていますので、早めに乗船されるなどして、船内も楽しんで見られるとよいのではないでしょうか。守り神マーメイドやライオンの彫刻などもあります。船の歴史ビデオの上映もあったかと思います。
船内には売店もあり、以下のようなものが販売されています。

welcome_htbさんのレポ
Marchさんのレポ
kenさんのレポ

                      売店メニュー
・オレンジ  ¥250
・コカコーラ  ¥250
・カルピス  ¥250
・メロンソーダ ¥250
・ジンジャーエール ¥250
・ウーロン茶  ¥200

・ビール   ¥550
  ハイネッケン
・さきいか  ¥300
・柿の種   ¥300
・ポップコーン ¥250

・アイスモナカ  ¥150


その他物品
・フィルム   ¥600
・カメラ     ¥1,650

オリジナルグッズ
・観光丸帽子  ¥2,700
・テレホンカード ¥800
・観光丸絵はがき ¥100
by mattarinonbe | 2005-07-09 01:20 | スパーケンブルグ